最近の日本の組織の上層部は、とかく「責任を取る」ということに慎重である。
裁量性が高く、組織とは関係なさそうに思える研究の分野であっても、これは他人事ではない。例えばPIであっても、最終的な決裁者はdepartment head(学科長)だったりして、この人の決裁なしには研究グラントの一つも出せやしない。
これが古式ゆかしきジャパンであれば、中間決裁者が何人もいたりする。そうすると、研究グラントのレビュアーを相手にする前に、後ろから撃ってくる味方も相手にしなければいけないわけだ。大抵の場合、味方の軍曹や曹長どもは、援護射撃していると思っているんだから、これまた厄介である。本当に助かるのは、何もしないでいてくれることだったりする。
例え話がかえって分かりにくいって?本題に戻すとする。例えば、研究計画の上で気になることがあるとする。研究材料は適切に入手されているか。研究内容は組織の目標に合致しているか。ほとんど問題がなかったとしても、もしかしたら、何も言わないと失礼になると思っているのかもしれない。何か些細なコメントをする。すると、その些細なコメントを中間決裁者や、それを補助する役割の人たちが拾ってくる。そうすると、雪だるま式に、現場に質問事項の束がやってくる。これをやっつける仕事を2〜3回繰り返す。
そして、ようやくdepartment headの決裁がもらえる。すなわち、グラントに出してもいいという許可が出る。ここへ来てようやく、レビュアーに説明を尽くすプロポーザルそのものに、本腰を入れられるわけである。これ、せめて内部的な手続きは、もう少し簡略化できないですか。
もしかしたら、ちょっと気になることはあるかもしれない。でも、細かいことを言うと現場の負担になるかもしれないと想像してほしい。あいつのこれまでを考えれば、大丈夫なはずだ。「ここはいい。オレの責任で決裁しよう」で済ませてほしいんだ、私は。別に、鋭い指摘をしてくれなくたっていい。信任をもらえたら、それでいい。そうして、いい研究をした時には、「あいつはオレが育てた」って言ってほしいんだ。人を育てるって、なにも仕事の内容を高めることだけじゃないんだ。仕事をやる上でのしがらみを、少しでも減らしてくれる。それだけでも、すごく有難い。
それは、「オレがあいつを育てた」って言うのに、十分足りることなんだよ。